地蔵院について

- 縁起と参拝方法 -

大瀧山地蔵院縁起

抑、兵火野火、洪水のため縁起所など殆無く、国指定重要文化財の地蔵尊、江戸時代に記録された古文書のみでしか知ることができない。
天平勝宝八年(756年)の開基と伝えられる。
寿永二年(1183)文覚上人を中興の祖とし、再建に取り掛かる。
右大将頼朝公、諸国のすたれたる寺社仏閣を建立の折、この地に(現在の大瀧山観音堂周辺)七間四面のお堂を建立し千手観自在を安置、小鴨谷筋一帯をその寺域とした。
これは文治四年(1188)戊甲の年の春から、佐々木史郎高綱が奉行となり建築を始め四年後に完成、四十二の大寺軒を並べ、大塔、金堂、騎羅天に輝き金殿、廣殿が 朝日夕日に雲間を照らし、僧千余人の勤行の声は山谷に鳴動し、東には峩々たる石山の文珠が嶽、北に数千丈の滝が衆生の煩悩のけがれ清め、西は閼伽が谷という 方丈第一の霊水があるところ、南には諸木枝を連ね、雲間の月が木々の間を照らし、この霊山に入る人々の現世の安穏、寿命の長久を守護す 天文十九年八月、大洪水によって境内の仏閣ことごとく流れ本尊を護る間がなかった。
しかし本尊は文珠が嶽の松の枝にご鎮座されていたという。
当時の伯耆など八か国の守護大名、尼子晴久がこの霊験を聞いてもとのように建立した。
再建五十年後焼失、多賀長太夫が寛文年中に三間四面の本堂を造立したという。
地蔵院の基をたずねてみると、大瀧山が繁栄していた時はその末山であったが本坊が絶えたので全てをこの院にまとめ現在に至る。 国指定重要文化財 木造地蔵菩薩半跏像
指定年月日 昭和54年6月6日
総高358,6cmに及ぶ堂々たる丈六の巨像で、ヒノキ材を用いた寄木造彫眼の漆箔仕上げ、衲衣の彫りや厳しい表情、胸から腹にかけての強い肉取りなどに鎌倉時代の 特色がよく表されている。
地方にあって、中央の作風を窺わせ、全国的に見ても現存する数少ない丈六の地蔵菩薩像である

国指定重要文化財 木造地蔵菩薩半跏像
国指定重要文化財 木造地蔵菩薩半跏像

持国天像と増長天像

内 容

鎧と冑を身に着けた武士のような姿のこの木像2体は、もともと観音堂にありましたが、現在は地蔵院の地蔵宝殿内に安置されています。
古老の仏承によると、病に悩む者がこの一体を背負い無言のまま当時のお堂を3回廻りお祈りをすれば病魔忽ち去り、特に恋悩みなどでお祈りする姿が良く見られたと伝承されています。
この2体の木像は四天王の持国天と増長天で、江戸時代初期に山伏によって刻まれたものとみられています。
現在は木像の状態維持の為、担ぐことはできませんが、お越しの際はお地蔵さんの近くに安置されていますのでご覧ください。

持国天と増長天

一町地蔵巡り

内 容

一町地蔵を巡る
その昔、観音堂の周辺は地蔵院を含む42坊の奥の院の行場として大切にされてきた場所です。
観音堂への道の始まりである滝口より一町(約100m)毎に建てられている20体の石地蔵が一町地蔵で、室町後期から江戸時代のものと思われる一町地蔵は、現在も道しるべとして 道沿いに立ち、皆様の道中安全を見守っています。
最初の一体(もともと滝口に建立されていたもの)は現在、地蔵院境内にあり2km弱の道のりを地蔵院から出発し、一町地蔵を見つけながら観音堂、不動滝、厄除不動尊をお参りします。
地蔵院から出発の前に鐘楼の鐘を鳴らし、スタートです。

  • 一町地蔵巡り1
  • 一町地蔵

願玉巡り

内 容

当院では珠玉巡りのことを願玉巡りと言い、三か所ある珠玉に全て参拝し、ご多幸を願いカンカンと音を鳴らすように回してください。

参拝場所

関のお地蔵様、境内のお地蔵様、護摩堂前にございます。

  • 願玉巡り1
  • 願玉巡り2
  • 願玉巡り3
  • 願玉巡り
  • 願玉巡り
  • 願玉巡り

切絵御朱印

内 容

当院オリジナルの「切絵御朱印」をお授けしております。

お布施

1体 1,000円

  • 切絵御朱印
  • 切絵御朱印

絵馬掛所・おみくじ

内 容

お地蔵さんの絵馬やおみくじもご用意しております。

  • おみくじ
  • おみくじ掛所
  • 絵馬
  • おみくじ
  • おみくじ掛所
  • 絵馬

関のお地蔵さま 参拝方法

1お堂前の大数珠をまわして手をあわしてください

2中扉を開き、中にお入りください

3お地蔵さまにご参拝ください。 写真等の撮影は自由ですが、他のご参拝の方のご迷惑にならないようご協力ください。

4雨天時などは外扉を閉めておりますので、寺務所にお声がけください。